牛丼屋さんで考えたこと。

最近感じたことをメモ的にえいやっ、と書いてみる。

先日、某牛丼チェーン店に行ったときに面白いことに気がついた。ある客と、店員とのやりとりである。

客(お店に入る)
店員「いらっしゃいませー」
客(券売機で券を買い、店員にわたす)
店員「○○丼ですねー」

店員「味噌汁になりまーす」
客「…」
店員「お待たせしました○○丼でーす」
客(丼を食べ、店を出て行く)
店員「ありがとうございましたー」


店員は中国系の女性で、カタコトの日本語でマニュアルにあるコトバを並べているようだった。
そして、客の方はとうとう一言もコトバを発さずに店を出て行った。


券売機や、ファストフードという仕組みの上で客と店員に共有されたマニュアルが、両者の言語的なコミュニケーションを省略してしまったのである。

ここで、もし客が日本語の不自由な外国人だった場合を想定してみる。
おそらく、券売機には写真がついているため、日本語がわからなくてもどれを買えばいいかわからないことはないだろう。


このように、本来お互いが共通に理解してはじめてコミュニケーションが成り立つ「コトバ」を省略しても、日本では日常生活を過ごせてしまう場面が多い。
これは、「コトバ」よりもハードルの低い写真やマニュアルの理解によるものだと思う。
世界の共通言語が英語なのは、使用人口が多いことももちろんあるだろうが、だれでもすぐに理解して使用できるという部分が大きい。
ただ、言語的な英語というコミュニケーションツール以上に、ファストフードでは簡易的なコミュニケーションがとられ、そこに言語はみられないようになったように感じる。


ただ、これは客と店員によるコミュニケーションについてである。これが、店員同士のコミュニケーションとなると話がかわる。
おそらく、同じチーム(店舗)内のコミュニケーションはより言語的に複雑なものになっているだろうと思う。
たとえば、その店舗やそのチェーン独特のニュアンスでつかわれる単語の存在。
国境や世代間を越えて同一チームで働くことの増加による言語のズレは、それを上回る言語的なコミュニケーションによってしか解消されない。

このように、日言語的コミュニケーションが醸成される一方で、言語的コミュニケーションがより複雑化しているという状況があるように思う。

以上メモでした。