社会人的忙しさ

「社会人は忙しいから」
という言葉を疑ってきたぼくが社会人になり、こう思います。

「あ、社会人って忙しい」

なぜかというとの前に、
なんていうか、本当の意味で“社会”人を理解していなかったなあと思います。

前回のエントリで、社会人と学生は表裏の関係ではないということを書かせていただきましたが、それとも関連してくるお話です。


社会人は、社会の人ということで関わってくる社会、その中に他者としての相手がいます。
そして、その相手のことを考えて何かをつくったり、考えたり、提案したりします。
その時、相手ありきな活動は期限が決まっていたりします。
こうして自分の活動を相手事として考えると、「社会人は(自分勝手に時間を使用できない意味で)忙しい」となります。
学生の活動を見ていると、自分もそうだったのですが、物事を自分事として捉えた時間の使い方が多いと感じました。
それはやはり“社会”人とは違うなと。「社会人は忙しい」とは自分の役割の先にいる相手のことを見据えて活動しなければならないからであり、学生の中にはただたんにこうした状況で動いている人が少ないということで、学生と社会人は別物として扱われるのだと思います。こうした意識の違いによって、学生と社会人を別物とするのは当然のことかなと思う一方で、もちろん例外的に学生でありつつ社会人のような人もいるなと思うわけです。