意識と無意識の境

最近「新しいことを新たに覚える」ということがたくさんあって、例えば社会人としてのマナーの中にある、名刺交換や・挨拶・電話対応・メールの返し方などたくさんあります。


それはもうぼくらの身体経験上の“新しい”ことになるので、意識するわけですね、「こういうときはこうする」、「ああいうときはああする」という感じに。

チャートっぽくどういう状況のときはこっちのAに進んでこうする、違うときはBに進んでこうするという表なんてものを使って工夫して身体に慣れさせていくという作業をしているわけです。

これは、いわゆる意識した身体活動になるわけですが、先輩たちをみたときにいちいち「こういうときはこうする」という思考がその行動に介在していないと思うんですよね。
つまり、その時点で先輩たちにとってみればそれは無意識の身体活動となっているわけです。

で、この記事(身体感覚-センボーのブログ http://t.co/yjqwYK4ae7 )を読んで思ったんですが、あらゆる活動の発展段階に、この大きな意識と無意識の境があると思うんですよ。

英語の勉強でも、HelloやHow are youなんてレベルは考えなくても出てくるじゃないですか、本来はそのレベルを目指して一つひとつ修得していくのが良いと思うんです。

それで、「意識的な鍛錬期間と、無意識レベルでの修得との境に何があるのか」ということがわかればあらゆる活動に活かせるなと気づいたわけです。

ここで大切ことの一つに、無意識レベルでの修得は、意識的な鍛錬を積まないと到達しないということがあると思います。

早く階段を駆け上がりたい気持ちで無意識レベルでできると過信した瞬間に、僕らは失敗という結果を得てしまいます。


そして、ここで出てくる結論としてはやはり意識的な鍛錬の量が大切になると思います。

意識的な鍛錬ってのは、意識している行動なわけですからとても時間がかかります。
でもここで時間をかけて身体経験として蓄積したものが、無意識レベルでの修得の深さに繋がるのではないかと思います。

新社会人として、新しいことをたくさん覚えていく時期なので、こういったところで周りと差がつくわけで、地味ではありますが意識的な鍛錬の数を積んでいきたいです。
もちろん、意識と無意識の境というテーマはもっと深いものだと思うので、そこに何があるのかを考えていきたいです。

ほかにも、「意識と無意識の境」に関しての意見があれば教えてください。

それでは。