読書体験を血肉化することについて

9月21日(日)に「本・ことば・デザイン展」へ行ってきた。
Tokyo Midtown Design Hub | 東京ミッドタウン・デザインハブ | 「本・ことば・デザイン」展
本展は著名人10名によるデザインついての書物のタイトル、1文、またそれらがどのような身体の血肉となったのかをあらわす展示であった。(以下HPより)「文筆や建築、デザインなどの各界で活躍する第一人者により選ばれた「デザイン」を感じる本と、その本の中でもっとも印象に残るテキスト、それら本来は目に見えない言葉というものを展示会場で視覚化し、感じてもらいます。」

私たちも読書体験というものはその体験を自身の身体に吸収し、それこそ血肉としていかに現実としての活動にアウトプットしていけるかが問われている。
とりわけ情報過多でインプットに困らない現代についてはいっそこういったことが強調して言えるだろう。
今回の展示では、著名人10名が書籍をいかに自身の血肉にしていったかを追体験する、というものでは決してなかった。

その体験は自身が書籍の著者と向き合い、自身の体験と重ね合わせることで初めて得られるものだと今回の展示は物語っている。
すなわち、彼らの教訓を我々が吸収するのではなく、彼らのような体験が我々がにもできるのだという発見こそが、今回の展示の教訓といえるだろう。
そしてわたし自身が血肉にしたといえるフレーズといえば、「残るべきものは残るし、残らないものは残らない。時間が多くの部分を解決してくれる。時間が解決できないことを君が解決するんだ」
(『村上春樹著『ダンス・ダンス・ダンス』より引用)
という一文だろう。

食べ物には栄養の吸収率というものがあるが、それは食べる順番や組み合わせで変わるものだ。
書籍、文章に関する身体への吸収率にもそれとおなじことがいえるのだと思う。

自身の経験とマッチした書籍を、これからも読み進めていきたい。

「誰が言ったのか」という問題

高校時代、サッカー部でのミーティングで今後どうするかについて3年生だけで話し合いがあった。

飲み会の席では意見がたくさんでるのに会議の席ではまったく意見が出ない社会人の今とまったく同じで、その時も「これからどうするか」というミーティングの場ではなかなか誰もが意見を発することがなかった。

その時、例えばシュート練習でシュートをうった後だらだらとボールをとりにいく姿などあげて「練習中の意識が低いんじゃないか」という意見を一人の部員が言った。

まあその部員はどちらかというと(ぼくが言えることじゃないが)キビキビと練習に取り組んでいるといえる人ではなかった。ただ意見事態はもっともだしそれ以上にだらだらしてる人がその場にいたことも事実だ。

でもその次にでてきたのは「じゃあお前は取り組んでんの?できてんの?」という強い言葉だった。それはレギュラーでサッカーが上手な人からでた意見だ。
その後、最初に意見した彼は何も言い返せなかったし、ミーティングは特に結論が出ずに終わった。

ぼくは5年経った今でも時々この時のことを思い出す。

意識と無意識の境

最近「新しいことを新たに覚える」ということがたくさんあって、例えば社会人としてのマナーの中にある、名刺交換や・挨拶・電話対応・メールの返し方などたくさんあります。


それはもうぼくらの身体経験上の“新しい”ことになるので、意識するわけですね、「こういうときはこうする」、「ああいうときはああする」という感じに。

チャートっぽくどういう状況のときはこっちのAに進んでこうする、違うときはBに進んでこうするという表なんてものを使って工夫して身体に慣れさせていくという作業をしているわけです。

これは、いわゆる意識した身体活動になるわけですが、先輩たちをみたときにいちいち「こういうときはこうする」という思考がその行動に介在していないと思うんですよね。
つまり、その時点で先輩たちにとってみればそれは無意識の身体活動となっているわけです。

で、この記事(身体感覚-センボーのブログ http://t.co/yjqwYK4ae7 )を読んで思ったんですが、あらゆる活動の発展段階に、この大きな意識と無意識の境があると思うんですよ。

英語の勉強でも、HelloやHow are youなんてレベルは考えなくても出てくるじゃないですか、本来はそのレベルを目指して一つひとつ修得していくのが良いと思うんです。

それで、「意識的な鍛錬期間と、無意識レベルでの修得との境に何があるのか」ということがわかればあらゆる活動に活かせるなと気づいたわけです。

ここで大切ことの一つに、無意識レベルでの修得は、意識的な鍛錬を積まないと到達しないということがあると思います。

早く階段を駆け上がりたい気持ちで無意識レベルでできると過信した瞬間に、僕らは失敗という結果を得てしまいます。


そして、ここで出てくる結論としてはやはり意識的な鍛錬の量が大切になると思います。

意識的な鍛錬ってのは、意識している行動なわけですからとても時間がかかります。
でもここで時間をかけて身体経験として蓄積したものが、無意識レベルでの修得の深さに繋がるのではないかと思います。

新社会人として、新しいことをたくさん覚えていく時期なので、こういったところで周りと差がつくわけで、地味ではありますが意識的な鍛錬の数を積んでいきたいです。
もちろん、意識と無意識の境というテーマはもっと深いものだと思うので、そこに何があるのかを考えていきたいです。

ほかにも、「意識と無意識の境」に関しての意見があれば教えてください。

それでは。

社会人的忙しさ

「社会人は忙しいから」
という言葉を疑ってきたぼくが社会人になり、こう思います。

「あ、社会人って忙しい」

なぜかというとの前に、
なんていうか、本当の意味で“社会”人を理解していなかったなあと思います。

前回のエントリで、社会人と学生は表裏の関係ではないということを書かせていただきましたが、それとも関連してくるお話です。


社会人は、社会の人ということで関わってくる社会、その中に他者としての相手がいます。
そして、その相手のことを考えて何かをつくったり、考えたり、提案したりします。
その時、相手ありきな活動は期限が決まっていたりします。
こうして自分の活動を相手事として考えると、「社会人は(自分勝手に時間を使用できない意味で)忙しい」となります。
学生の活動を見ていると、自分もそうだったのですが、物事を自分事として捉えた時間の使い方が多いと感じました。
それはやはり“社会”人とは違うなと。「社会人は忙しい」とは自分の役割の先にいる相手のことを見据えて活動しなければならないからであり、学生の中にはただたんにこうした状況で動いている人が少ないということで、学生と社会人は別物として扱われるのだと思います。こうした意識の違いによって、学生と社会人を別物とするのは当然のことかなと思う一方で、もちろん例外的に学生でありつつ社会人のような人もいるなと思うわけです。

学生と社会人は反対側の存在じゃない?

4/1に入社式を終えて、晴れて社会人となりました。
まだ社会人3日目が終わったところで、学生と社会人の違いをテーマに書くのは早いかなとも思いましたが、感じることがあったので書いておきます。

学生時代、「社会人は忙しい・大変」ということをとにかく言われてきました。
学生と社会人には明確に境界線があって、学生には社会人の楽しみは経験できないし、社会人は学生の楽しみを経験できない。一度向こう側に行くともう戻れないような言われ方をされた印象があります。

でも、社会人になって、学生時代との間に、そんなに明確な境界があったのかなと思います。
これだけだと「学生気分が抜けていないからそんなことがいえる」などといわれそうですが、今のところ心持ち次第で学生だって社会人以上に自分で責任もって自分の活動をして社会に貢献してできるし、社会人だって学生のような楽しみ方を(持続的には無理にしろ)体験することは可能なんじゃないかと思います。



ぼくは入社前、言葉でしか聞いたことがない社会人を自分自身で体験できることをすごく楽しみにしていました。
でもやってみて思ったのは、「社会人だから忙しい」とか「学生だから楽しい」というのは違和感があるってことです。

社会人と学生は、反対の言葉のように扱われているけれど実は違う関係性なんじゃないかなと。
まあそれは社会人をもう少し続けながら考えてみます。

自分をオープンにすることについて

2010年の3月16日から新聞奨学生として、2010年の4月1日から大学生として4年間の生活が終わり明日から新社会人として生活します。

4年前、新聞奨学生をはじめた当初はその仕事の過酷さと、第一志望でもなく何も充実のない大学生活に絶望していました。
先に新聞奨学生について説明しておくと、新聞社の新聞奨学会から奨学金を得る代わりに、新聞販売店で住み込みで働きながら大学や専門学校へ通う制度のことです。ぼくの勤めた新聞販売店の仕事には毎朝の朝刊の配達と、週2回の広告の折り込み、月末の集金がありました。

肉体的に大変なのはもちろんですが、自分でこの生活を受け入れるということが難しかったです。
その象徴的なエピソードとして思い浮かぶことはが、新聞奨学生ということを周りの学生に言えずにいたところです。
当然、そんな閉じた状態で誰かに受け入れてもらうことも、誰かを受け入れることもできないまま大学生活の半分近くを過ごしてしまいました。


3年生から大学ではゼミが始まり、希望したゼミに入ることができたこともあって変わりたいという思いも強く出てきます。
そこでようやく、自分のことをオープンにすることが出来始めました。
新聞配達にも慣れてきて、ある出来事で金銭的に余裕が生まれたことも大きかったです。

いきなり大きく変われることなんてないですが、1年間ぐらいかけて、少しづつゼミという環境に馴染み、大学という環境にも馴染むことができてきました。
自分のことをオープンしすることで、相手のことを受け入れる隙間もできてくる気もします。

何か組織に属することを嫌っていた(これは中二病的な何かな気がします笑)自分が、組織に属することについて理解してきたのもこのころです。


就活も基本的には同じように取り組みました。
自分自身を知ることと自分をオープンにすることだけを繰り返してだけです。
だから就活で成功したとか自分は就活が得意とかは思わなかったです。

明日から新社会人として新しい組織に入り、仕事をしていくわけですが、大学時代に学んだことが一つでもあって良かったと思えるように、忘れないで生活できればなあと思います。

卒業と、卒業するぼくらに向けられた言葉について

 日付をまたいでしまいましたが3月17日に大学の卒業式が都内で行われました。
海外の有名大学であるような著名人のスピーチなんてのはなく寂しかったので、ネットで見つけた卒業スピーチを集めて、彼らが学生生活を終える僕らに何を伝えたがっているのかを考えてみました。みなさんもぜひ目を通してみてください。そしてここにある言葉の中には、彼ら自身が学生だった頃の自分に伝えたかったことが現れているはずです。

ビル・ゲイツ(ハーバード大にて)
ビルゲイツによるハーバード卒業式の式辞全訳 - FIFTH EDITION

人類のもっとも偉大な進歩は、その様々な発見の中にはありません。それらの発見が不平等を減らす為にいかに応用されたかという点にあるのです。民主主義、強力な公教育、平等な医療介護、もしくは広範な経済的な機会を通じてであろうとなかろうと。不平等を減らした事こそが、最も偉大なる人類の進歩なのです。

ジェフ・ベゾス(プリンストン大学にて)
ジェフベゾススピーチAmazon創業者が卒業式で語った道の切り開き方 - ログミーBiz 

賢さは生まれ持った才能ですが、やさしさは選択です。生まれ持った才能とは、言ってしまえば与えられたものなので努力を要しません。その反面、選択をするということ、これは難しいことなのです。気を付けなければ、才能は私達を傲慢にします。そして自分の才能にうぬぼれると正しい選択をすることが出来なくなります。

80歳になったあなたが、あなたの過去を振り返るとしましょう。その時に一番心に残っていること、思い出すことはあなたが下してきた決断の数々であると私は信じています。あなたが何を選ぶか、あなたが下す決断が「あなた」をつくっていきます。
あなただけの道を切り開いて下さい。

ラリー・ペイジ(ミシガン大学にて)
Googleのラリー・ページのミシガン大学卒業式でのスピーチ - himazu blog
 

私からのアドバイスはこうだ。自信を持て。頻繁に失敗しろ。不可能に対して健全な疑念を持て。君たちには(省略)世界を変える大いなるチャンスがある。重要なことをしろ。楽しめ。さもなければ成功は望めない。旅をしろ。

 君たちにこのことを考えることを強くお薦めする。世界を変えたいのなら、力のある立場、リーダーの立場に身を置くのが良い。世界は君たちを待っている。

ドリュー・ヒューストン(MITにて)
http://hirokisugihara.com/?p=117

「大好きなことを仕事にしろってスピーチしようかと思ってたんだけど、やっぱり本当はそうじゃないんだよね。『自分は好きなことをやってるんだ』って自分を説得してしまうのはすごくたやすい。だって、そう思いこまなきゃやってられないから。
でも考えてみると、僕の知ってる成功者たちのほとんどは、ただ単に大好き(love)なことを仕事にしてるだけじゃないんだ。彼らは、気になって仕方がない大切な問題を解決することに没頭している(obsessed)んだ。

 『人生は30000日しかない』って誰かが書いてるのをみつけて、ふーんと思って最初は気にも留めなかったんだ。でも、ふと思い直して電卓をたたいてみたら、僕はそのときすでにもう9,000日を消費してたんだ。その瞬間はさすがに焦ってこう思ったよ。僕って今までに何かを成し遂げたっけ?ってね。

……おっと、君たちももう8,000日くらいは過ぎたとこだったね。

その晩、僕は気づいたんだ。人生にウォームアップなんてない、練習試合なんてない。リセットボタンだってありゃしない。僕らは毎日、人生という物語に少しずつ言葉を書き綴っていっているんだ。

最後に有名なこちらのスピーチを。

スティーブ・ジョブズ(スタンフォード大学にて)
スティーブ・ジョブス 伝説の卒業式スピーチ(日本語字幕) - YouTube

感想があればぜひ。