読書体験を血肉化することについて

9月21日(日)に「本・ことば・デザイン展」へ行ってきた。
Tokyo Midtown Design Hub | 東京ミッドタウン・デザインハブ | 「本・ことば・デザイン」展
本展は著名人10名によるデザインついての書物のタイトル、1文、またそれらがどのような身体の血肉となったのかをあらわす展示であった。(以下HPより)「文筆や建築、デザインなどの各界で活躍する第一人者により選ばれた「デザイン」を感じる本と、その本の中でもっとも印象に残るテキスト、それら本来は目に見えない言葉というものを展示会場で視覚化し、感じてもらいます。」

私たちも読書体験というものはその体験を自身の身体に吸収し、それこそ血肉としていかに現実としての活動にアウトプットしていけるかが問われている。
とりわけ情報過多でインプットに困らない現代についてはいっそこういったことが強調して言えるだろう。
今回の展示では、著名人10名が書籍をいかに自身の血肉にしていったかを追体験する、というものでは決してなかった。

その体験は自身が書籍の著者と向き合い、自身の体験と重ね合わせることで初めて得られるものだと今回の展示は物語っている。
すなわち、彼らの教訓を我々が吸収するのではなく、彼らのような体験が我々がにもできるのだという発見こそが、今回の展示の教訓といえるだろう。
そしてわたし自身が血肉にしたといえるフレーズといえば、「残るべきものは残るし、残らないものは残らない。時間が多くの部分を解決してくれる。時間が解決できないことを君が解決するんだ」
(『村上春樹著『ダンス・ダンス・ダンス』より引用)
という一文だろう。

食べ物には栄養の吸収率というものがあるが、それは食べる順番や組み合わせで変わるものだ。
書籍、文章に関する身体への吸収率にもそれとおなじことがいえるのだと思う。

自身の経験とマッチした書籍を、これからも読み進めていきたい。