東京オリンピックとスピーチ大会と目の前にあること

「感動」って時には人を救いだして、時には人を薄っぺらく感じさせ、感動の「し方や使い方」に嫌に慎重なってしまったりします。

最近気づいたのはぼくはほんとに感動しやすいってこと。
箱根駅伝ラグビー、サッカー、甲子園、(なんだからスポーツばっかりになってしまいました笑)などほんとにすぐに感動してしまいます。

東京オリンピックが2020年に開催されることが決定して、そこでも感動させられました。

そして先日、ゼミの後輩のスピーチ大会(勉強したことをスピーチし、班対抗で順位がつくゼミ内の大会)の順位発表でも感動しました。
そのとき、(あれ?オリンピックが決まった時の感動に似てる)と思ったのです。

これが、なんで似ているんだろう?
ということで、考えてみます。


先日見たエントリーでこんなコピーが書かれていました。“「反対は、上手になった。正解は、わからなくなった。」 http://t.co/ilLp8S6Nxj

ニュースやブログ、Twitterなどで様々な意見が見られるようになった昨今では、あらゆる議論についての賛否両論どちらの意見も知ることができます。
オリンピックの時も同じで、ぼくは東京でオリンピックを開いた方が良い・開かない方が良い、どちらの意見も知ることができます。

で、困ったことにどちらも正しく見えてしまうんですよね。
「え、これどっちも間違ってないじゃん。どうすればいいの?」って感じです。

そんな中、東京にオリンピックの開催が決まり、誘致のために動いていた人たちの喜ぶ映像・写真を目にしました。

「すごい喜んでる」

彼らも同じく、東京でオリンピックを開催するべきかどうかの議論があることは知っていたと思います。それでも、自分たちの目的である「東京でオリンピックを開く」という目の前のことことに対して真摯に取り組んできた。その結果があの喜びから見て取れました。


スピーチ大会でも同じだったのです。彼らはこれから就職活動、卒業とどうなるかわからない、不安な将来を持っています。それでも、目の前にあるゼミの勉強、スピーチ大会に対して全力で取り組んできた。だから順位発表のときにあれだけ悔しさや喜びといった感情が出てきていた。
その結果、ぼくは感動させられたわけです。


おそらく、目の前のことに真摯に全力で取り組んでいる人っていうのはそういった感動を生み出す力をもっています。勝ち負けにかかわらず、まわりの人への影響力をもちだします。
こういった影響力は、次第に「応援したい」「協力したい」といった形で周りを巻き込んでいきます。

目の前のことに必死になることが、周りに大きな力を及ぼすんだと、今回のことで理解しました。

将来への不安や、批判。それらがまったくなくなったってことはありませんが、目の前のことをこれからも全力で取り組んでいこうと思いました。

オリンピックとスピーチ大会を見て。

(追記)途中からにも関わらず、スピーチ大会を見学させてもらえてよかったです。9期生のみなさんありがとうございました。